11月23日、鹿児島県曽於市住吉神社豊祭(例大祭)において、当会門人による野太刀自顕流の奉納演武が執り行われた。
当日、住吉神社の参道で行われた流鏑馬は、県内では他に、肝付町新富の四十九所神社、日置市吹上の大汝牟遅神社の計3ヵ所に伝承されている。
当社は、住吉山と称し、山頂には姥ヶ石と呼ばれる割れた大石を境に、大隅と日向の国境をなしている。また、摂津の住吉神社が最大規模であるものの、日本書記・古事記によると、この住吉神社が国内の住吉神社の大元にあたると云われており、大変に古い住吉社でもある。
ちなみに、住吉大明神は、野太刀自顕流の始祖・肝付家が大切に崇敬していた神様の一つである。
住吉神社の御祭神は、海運の神様でもあることから、倭寇の肝付水軍でアジアに名を馳せた家柄であったことも関連しているのだろう。また、この界隈にある国合原では、肝付氏の家運を駈けた大戦が繰り広げられた古戦場跡でもあり、野太刀自顕流の門人にとっては思い入れのある大切すべき聖地のひとつだ。
先ずは、当流の基本の型である「続け打ち」。国内で最も重いとされる南九州原産のユスの木を打棒で、束ねたユスやカシの細い雑木に打ち込んでいく。
そういえば、同地区の長老が、戦前までにこの野太刀自顕流を立ち木打ちと称し、朝の稽古会を行っていたと話されていたのを思い出す。
相対する型として、抜き、長木刀、打ち廻り、槍止め、小太刀等が現代まで継承されている。
当流の相対稽古は、型だけで終わらない。実戦さながらの真剣勝負であり、防具も装着しない。片方に隙があるものならば、軽い怪我では済まないだろう。
当流らしく、防御を嫌い、相手に打ち込まれる前に、一寸でも早く、素早く、打ち斬り込み、攻めに攻めて一撃必殺剣の技を高めていく。
最後は、当流の総合技である「打ち廻り」。ハップリ(陣笠)を載せた立木を敵と見立てて、一気に斬り廻っていく。1対複数の中で制圧する技だ。
特に、明治10年の西南戦争で薩摩軍が、この打ち廻りを駆使し、官軍の陣地を攻め込んだ。
薩摩兵士の独特の猿叫と呼ばれる気合いを発して、敵陣で抜刀しながら斬り廻り、派手に斬られた官軍兵士達は大混乱に陥ったという記録も残されている。