昨日は、役員のSさんと野太刀自顕流の聖地のひとつである宮崎県日南市南郷町の脇本八幡神社(薬丸湖雲神社)へ武運の為にお詣り。
また、今まで温めていた奉納演武を実現すべく、現地関係者と打ち合わせも兼ねてきました。
脇本地区の山あいに何百年前からひっそりと佇む、とても小さな神社です。
時代は戦国後期に遡る。
島津氏(北郷家)との住吉原合戦大敗後、島津氏傘下後の肝付家は、今後の活路を見出だす為に、色々と悩んでいた時期でもあった。
肝付家領土は、安堵されるも飫肥の戦国大名、伊東氏に心寄せるものとして、島津氏に疑われてしまう。
18代肝付兼亮は、その疑いを晴らすために、伊東氏と偽戦を持ちかけ、天正4年(1576)、津屋野(宮崎県日南市南郷町)に出動。
櫛間地頭(宮崎県串間市)であった薬丸湖雲(兼将)を大将とする肝付軍は、無鉄砲、空砲で撃ちかけるも、伊東軍が実弾を込めて戦した為に、薬丸湖雲をはじめ肝付勢300余人が無念の死を遂げた。
これが、500年も及ぶ戦国大名肝付家の予後を決定的なものとしてしまい、肝付氏最後の戦となってしまった。この偽戦により、肝付方将兵の損失著しく、所領は居城の高山を残し、すべて島津氏に属することになる。
薬丸湖雲の遺体は、湖雲ヶ城下にあった金蓮寺へ葬った。現在も脇本八幡神社境内すぐ下に金蓮寺跡が残されている。
偽戦および薬丸湖雲戦死が6月15日。寺跡に薬丸湖雲以下、肝付方の戦死をあわれみ、神社を創建し祭りをはじめた。
その近い日曜日に近年までは、慰霊のため、為戦の姿をあらわす白太鼓踊りが奉納されていた。しかし、現在は高齢化少子化問題に直面。残念ながら奉納がうまく継承出来ずにいる。
今後、私たち野太刀自顕流兵法会は、使命感を持って、細く永くても薬丸湖雲以下300余人の慰霊のために、奉納演武をお務めして参りたいと思います。
大変小さな神社でありますが、例祭日は地元の方で境内を整備されます。野太刀自顕流や肝付氏にとって相当格式のある神社です。興味のある方は、当日お気軽にお越し下さい。
脇本八幡神社(薬丸湖雲神社)奉納演武
①場所 宮崎県日南市南郷脇本 八幡神社
①日時 平成28年6月12日(日)
③神事11:00~11:30
④奉納演武(30分)11:30~12:00
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たけちゃん (月曜日, 06 6月 2016 12:57)
演武決定喜ばしい限りです。手伝いに行きたかったのですが当日不在の為伺えません。無事の奉納お祈り申し上げます。