明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
我が家には昨年、先生より頂いた木刀があります。それは、故・奥田真夫師範の遺品で、スヌケで作られた抜き専用と打ち廻りや長木刀等の相対用木刀の2本です。
これらの木刀は、奥田師範より高弟である別府先生(現師範)へ、真剣と一緒に遺し託されたものです。
生前、奥田師範からは、「そろそろ別府さんが師範をすると良いよ」と言われ、よく可愛がれたそうです。
今年も野太刀自顕流や兵法会にとって、良い年でありますように。そして、歴史と技の末永い継承を願いながら、遺品と遺影を前に手を合わせました。
今年もぼちぼち頑張ります!!
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米盛 健と申します (金曜日, 22 4月 2016 18:35)
出身は、鹿児島県肝付町です。
現在、松本市在住です
実家の家紋が、鶴丸なので気になってます
趣味は、剣道です
野太刀自顕流兵法会事務局 (月曜日, 25 4月 2016 14:56)
米盛さま
返事が遅れてしまい申し訳ありません。
鶴丸紋は、日本の伝統と長寿、そしてめでたく、日本航空JALでも使われており、大変美しいデザインです。
資料によれば、鹿児島~宮崎県の鶴紋の保有率は、1%も満たないとのデータが出ております。しかし、これでも全国から見ると保有率の高い地域のようです。
鹿児島では、肝付氏族でない他家でも鶴紋を使用している事を既に確認しております。
肝付一族の鶴紋は、元々、肝付氏の先祖、伴兼行が薩摩に下向した際に、62代村上天皇よりかたじけもなくも拝領した貴き舞鶴紋が始まりです。
そのままの使用を遠慮し、総本家は、二重子持ち亀甲に嘴食い立ち向かい鶴を家の紋と定めました。また、古い時代の分家筋は、紋章を変形させ、シンプルな鶴の丸紋や雁金紋を使用したと考えられております。
米盛という苗字は、桓武平氏一族も使用したと言われており、主に柏紋や目結紋を使用されているようです。
他所からの移住がなく、古来から住んでいた鹿児島県肝付町の米盛家であれば、米盛家に養子として肝付氏族が入り、肝付一族の血脈を現代まで表している。若しくは、苗字義務化された明治時代以降、高山町の肝付家に肖って鶴の丸を使用したのではないでしょうか。
特に肝付町では、現代でも、まだまだ肝付氏への想いが強いようです。
参考までに、当家の家紋も本家は鶴の丸です。しかし、分家筋は、大正~昭和にかけて他家の養子が入ったり、何らかの事情等で、他紋に刷り替わり、少し残念な思いであります。
日本人のシンボルマークとして家紋は、大変美しいものがあります。米盛さまの鶴の丸紋も、今後とも大切に子孫の代まで継承されることを願います。
以上までをご参考にしていただければ幸いです。